幸福とは何か (ちくまプリマー新書)

幸福とは何か (ちくまプリマー新書) の詳細

カントは、「幸福」という概念はあまりにも曖昧であり、多様に過ぎる内容を含んでいるので、倫理学の基礎にはなりえないと考えた。本書は、そのような曖昧な幸福概念を、「快楽説」「欲求実現説」「客観的リスト説」の三つに大別し、されにそれらを組み合わせたハイブリッド説、多元主義などを丁寧に考察する。パーフィットなど現代哲学の考察を踏まえた水準の高い議論をしているが、全体を読み終えて思ったのは、この考察によって何が我々に得られたのだろうか、ということである。幸福に関する著者の折々の判断も、全体としての結論も妥当なもので、我々の常識と一致する。とすれば、しかし、こうした結論は、哲学者に教えられなくても、自分の経験や常識からある程度は得られるのではないか。そもそもこのタイプ別そのものが問題ではなかろうか。私が感じた疑問点を二点ばかり記すと、一つは、著者は幸福の対立物を不幸と考えているが(p221、p159～162)、はたしてそうなのだろうか。幸福とは、一方がプラスで他方がマイナスである二極のうちの一方なのだろうか？ アリストレスは、勇敢の反対は臆病ではなく、臆病と無鉄砲というマイナスの二極の中間の、微妙なバランスの点が勇敢なのだと述べた。つまり、両極はどちらも否定的なもので、その間の稀有なバランス点が勇敢という肯定的な徳なのだ。幸福の場合はずっと複雑で、おそらく周縁はすべて否定的なもので囲まれた円の中心のようなところが幸福になるのではないか。『アンナ・カレーニナ』の有名な冒頭も、そういう話である。あるいは九鬼周造が「いき」について考えたように、立体図形の表示が必要かもしれない。なにしろ幸福はカントの言う「最高善」という複合的なものなのだから。そして、そうなると幸福のタイプ分けも違ったものになるだろう。もう一点は、人生の時間的な長さと幸福との関係である。時間を考慮することで幸福の分析が深まったことは事実だが、しかしまだ十分ではない。そのつどの快としての幸福と、人生の全体を通じていえる幸福の両方があるのは著者の言う通りだが、問題はなぜそうなのかという理由である。私の考えでは、個々の行為の合目的性と、中期的な合目的性、そして人生の全体の合目的性を考えて、それらの接合、切断などの関係を含む構造として人生を捉える必要がある。人生は直線的時間から成り立つのではなく、合目的性の複合的構造による多様な時間から成り立っている。こうしたことも考慮に入れれば、本書の精密な分析は、さらに深い考察を生み出すのではないだろうか。